今日のニュース

−十三日未明、金沢市神野二丁目の民家で会社経営神後
武雄さん(66)、信子さん(64)夫婦が刺殺された事件で、
強盗殺人容疑で送検された松任市内の無職少年(17)が
「十二日の夜に犯行を思い立った」と供述していることが
十四日、金沢西署と石川県警捜査一課の調べで分かった。


 「警察に見つかってもよかった」「人を殺してでも金が欲し
かった」―。免許取得が可能になる十八歳の誕生日を間近
に控え、車の運転免許を取得するための費用がいると考え、
とっさに犯行を思い立った。


 神後さん夫婦の体の傷は、顔や頭など数十カ所に及んで
いた。それでも少年は、取調官に自分の親が殺害されたら
どう思うかと尋ねられ、「それは運命だろう」と答えたという。
感情を表に出さず、少年は今も淡々と供述を続けている−


全国ニュースでも放映していた金沢(私の家からかなり近い)
の少年犯罪について。
世間的には、「17歳」とか「心の闇」とか、そういった「罪」とは
少々ズレた部分での論議が行われているのだろうが、私は
犯罪評論家でも心理学者でもないのでここでそれを取り上げ
るつもりは無い。
私が引っかかったのは、少年の発言「それは運命だろう」
(ローカルのTVニュースでは『そんなん運命やろ』と方言で
伝えられていた)という一言である。
なんというか、そういう無配慮、刹那的な発言は自分が高校
生の頃、いやひょっとしたら今でも、つい口にしてしまいそう
な、そんな「怖さ」を感じてしまったのだ。


こういった凶悪犯罪が起こるたび、マスコミは犯人の異常性
(そのためにたくさんの精神疾病名を発明しながら)や、これ
まで歩んだ人生の特異性を強調したがるように見受けられる。
人々はそれを聞いて「自分とは違う」と胸をなでおろすのだろ
うか。
私は逆に犯人との相似点を見出し、「ではなぜ自分は犯罪を
犯さないのか」と考えてしまう。答えはいつもひとつ、自分の
家族、自分の仕事、自分の生活が大切だと思うから。
そんな当たり前のことを再確認しつつ、キーを叩いている。